まずは、完全に不幸の象徴として常に悲しい顔をしている井浦新さん演じる崇徳上皇ですが、守る武将に逃げるようにいい、自分はこれまでのうまくいかない世の中に涙を流します。同様に藤原頼長も父親を頼って逃げるのですが、門に入れてくれずにその前で舌を切って自害することになります。最後の清盛紀行によると、最期を遂げたのは興福寺であったとありますが、この辺りの事実関係が若干怪しいものがあります。
この二人は、何とかこれからも自分が生きる道を探そうと必死になるのですが、結果としては流罪と自害という悲惨な結果に。自分たちで刀を向けたのですから、負けたという事実の前にどうしようもない結論ではあります。信西や後白河天皇が判断したこの結果は、至極当たり前のことであったと思います。
それに対して、武士方ですが為義と忠正が残党狩りを避けてそれぞれ源氏と平氏のもとに捕らえられます。こうなっただけでも不幸中の幸いではありますが、自分の手元にかけがえのない人物が戻ったのであれば、人としてその命を守りたいと思うのは当たり前のこと。それまで清盛や義朝は探すことなどしないと言っていたにも関わらず、実際には情がどうしても出てしまうようです。
しかし、この辺りは前回からそうなるだろうなと思っていました。そしてここに繰り広げられる人間模様が涙ながらに語られるということも。実際、極刑が下され、実行されるのは次回のことのようですが、完全にそうなるフラグが至る所に立ちまくりでした。
為義は、由良御前から食事の差し出しを頂き、そこで義朝が殿上人になったことを知って静かにほほえみながら満足そうな表情を浮かべます。きっとこれからの源氏の安泰を想像したのでしょう。同様に、忠正は落ち武者的な格好で登場するも、清盛になくてはならない存在であるといわれ、落ち着きを取り戻します。しかし、子供達の竹馬を見ながらも、自分の死期が近づいているのを感じていたことを表情から醸し出していました。この辺りの微妙な演技が豊原功補はうまいです。思わずこちらまで心が苦しくなるほどの表情は、彼ならではでしょう。
次回は、その続きです。今回ネタが完全にばれてしまっていることと、サッカーの日本代表試合の関係で、ここ数回の視聴率が本当に厳しくなりそうですが、それにもめげずに頑張ってほしいと思います。
◆清盛紀行◆
京都府宇治市
- 宇治川
奈良県奈良市
- 興福寺
京都府京都市
- 相国寺
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今回の戦は平氏と源氏にとって一族を二分するかのような状況の中で、それぞれがどのように思いながら戦っていくのかということでした。大きな話題になったのが、源義朝と為義の親子、平清盛と忠正のおじの関係、正清と通清の親子といった3組。保元の乱自体はほとんどこの3組の状況について繰り返していくことで展開していきます。
なので、保元の乱全体について語られることはあまり多くなく、個別のそれぞれの戦状況に終始してしまったような気がします。ここは語りである頼朝役がしっかりとサポートしなければならないところではありますが、実際には役者の力の方が大きかったということなのでしょう。
先ほどの3組の戦が開始され、それぞれの思いが映し出されます。結果的には、それぞれが戦いながらも決着をすることはありませんでした。直接命を奪っていたらもう少し今後の心模様にも変化があったのだと思いますが、勝敗が決まったあとに、また一緒にやろうという流れになるだろうなと思ってしまいます。これが次回への伏線となっていくのですが、ここではまだわかりません。
頼長と信西という参謀の戦いでもあったこの戦、同じ兵法でも解釈の仕方によってこんなにも変わってくるんだなと感じます。夜討ちを恥ずべき行為とするか、勝利のために最善の道を選択するのか、非常に難しい問題です。礼儀や威厳を保つ上で恥ずかしい行為をすることがNGだと考えがちなのですが、信西たちが決定した夜討ちという手法によって、結果的に勝利を得るためにいかに戦うかということが今後の戦の中で根本的な考え方になっていったのではないでしょうか。そういう意味で、非常に重要な戦であったと思います。
次回は、敗北者になった崇徳上皇側の処遇についてになります。負けた方は基本的に何でも受け入れなければならない状況なので、苦しい場面になると思いますが、静かに見守りたいと思います。
◆清盛紀行◆
京都府京都市
高松神明神社
白河北殿跡
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