生後3日で天国へ旅だった娘へ

ここでは、「生後3日で天国へ旅だった娘へ」 に関する記事を紹介しています。



生後3日で旅立っていった娘から両親が教えられたもの、それは「今、ここにあることの幸福」でした。止らない涙の中で教わったことを多くの人に知ってもらうために出版した絵本が今、話題をよんでいるといいます。同じ子供を持つ親として子供と毎日を過ごすことができる幸せを改めてかみしめられると共に、胸が締め付けられる思いを感じてしまいます。今回はこの子供と親との3日間の関わりとその後について紹介したいと思います。


妊娠7カ月の時、胎児は「18トリソミー」という染色体異常で長く生きられないと告げられた両親。落ち込むお母さんにお父さんは「僕たちを悲しませるために生まれてくるんじゃないよ」と励ましたといいます。

そして無事に出産し、「心から愛している」という思いを込めて「愛心(まな)」と名付け1日でも長く生きて欲しいと両親が強く願いました。でも、抱くことができたのは生まれた直後とその翌日、そして旅立った時の3回だけ。涙が止らないお母さんを励ましたのはまたもお父さんの一言でした。「いい子だよ。誰もが嫌がる病気を引き受けて天国に持っていってくれた優しい子だよ」

この言葉に励まされ、お母さんは2ヶ月後に「愛心ちゃんのためにも、笑顔で毎日を暮らそう」と絵本を書き始めます。

『赤ちゃんは生まれる前、神様からそれぞれ意味のあるボールをプレゼントされます。このボールの中に「びょうき」のプレゼントが一つ。だれもがいやがるものだから、「私がもっていく!」と生まれてきた愛心ちゃん。お別れの時間はすぐにきたが、ママは「あの子が喜ぶように、私たちも笑顔でいたい」と思う……。』

両親は「生きづらさを感じている人たちに、メッセージが少しでも届けば。それが娘の3日間の生の証しだと思っています」と語ります。


一部まとめましたが、皆さんはこれを読んでどのように感じたでしょうか。今、このひととき、子供がぐずっているとき、いうことを聞いてくれないとき、自分も絶望しているとき。様々な悩みやつらさがあると思います。自分だけがつらい思いをしていると感じたとき、このことをもう一度思い出してみましょう。きっと何かが変わって見えてくると思います。

【参考】毎日jp
http://mainichi.jp/life/edu/news/20100314ddm013100210000c.html

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この記事へのコメント
私の息子りっくんは、4歳11ヶ月で天国へいってしまいました。
2011年2月3日倒れる2日前、幼稚園ではじめての豆まきをしてきたそうです。りっくんは、鬼がこわかったみたいで、年中さんになっても、年長さんになっても豆まきの日は幼稚園おやすみする!といってました。
2月4日は、次の日がりっくんが楽しみにしていた、幼稚園の作品展覧会があるため、午前中で帰宅。いつもは、ばぁばがお昼ごはんを作るですが、私がオムライスを作りました。ケチャップはりっくんがかけました。
2月5日、明け方から喉を痛がる。私は下の子の世話と体調がよくなく、りっくんをパパに押し付けてしまいました。また、大袈裟にしてるのよ、と思ってしまった。
朝一、パパに小児科に連れて行ってもらおうとしたら、りっくんがママがいいと言うので、ママと小児科へ。行く途中、車の中で辛そうなので、スピードをあげて、急いだ。いつも風邪くらいなら自分であるくのに、その日は違った、歩けないのでおんぶした。一番に先生に診てもらった、いつもと様子の違うりっくんに先生は、インフルの検査をした、陰性。風邪からくる熱では、とのこと。薬局で薬をもらう、車にのこし、私だけ行く、帰ると不安で仕方なかったりっくん。
急いで家に帰宅。
熱もあったので寝かす。
幼稚園の先生から電話がきた、そう、楽しみにしていた、展覧会。熱でいけそうにないと先生にはなす。
熱が39℃まであがり、不安になり、小児科に電話、解熱飲ませて、安静にと話しがつき、しばらく寝かせる、喉が痛い風邪で苦しいみたい。りんごのすりおろしたのを少し食べた。

それからママが添い寝をした、四時に熱もさがってきた、とたんに、顔面蒼白、呼吸もおかしい、パパをあわてて部屋に呼ぶ。救急車呼べ!と言われ、急いだ。すぐにきてくれたのに、りっくんは、意識を失った、パパは戻ってこいと、人工呼吸とマッサージした。
病院に搬送。私は泣きながら、りっくんーと呼び続けた。病院では、長かった。私から奪わないで、と心の中で叫び続けた。
パパとじぃじ、ばぁばがかけつけた。
それから、私とパパが処置室に呼ばれた。意識なく、自発呼吸なし、心拍が50分後に再開したと。絶望的な時間だった。
何でどうして?風邪じゃないの!昨日まで元気だったのに。
ここでは、無理なので、高度な治療の出来る、病院へ搬送。45分もかかった。こわくてこわくて、たまらなかった。病院について、涙が止まらなくなった。不安で仕方なかった。処置がおわって、通される。でも私は記憶にはない。ただ、りっくんがこんなところで、色んな器具に繋がれていて、涙しかでなかった。しばらくして、パパがきた。じぃじたちもきた。
今日が山場だと言われて、真っ白になった。
それから、3日後脳波の検査をした、まっすぐな線だった。
10日後も変わらず。すべてにおいて、死んでいる状態だと。でも、心臓は強い子だと。
それから、一週間、安定した。ICUのアイドルになった。かわいい寝顔のりっくん、みんなになでられた。
さらに一週間、週末治療の話しを先生とした。
もうこれ以上痛いことは止めてと。

それから、安定していたのに、お部屋を移る話しが出た翌日の朝、3月11日。電話がなる。危ないとのこと病院へ急いだ。
覚悟してたのに、涙がとまらない。
心拍70、血圧34。おしっこも出ていない。
みんながりっくんによりそった。2時46分、地震がきた、つくばもすごく揺れてこわかった。涙が出る中何度も揺れる度に心拍が下がる。地震の最中、最後にりっくんを抱かしてもらう、そしたら、心拍100!奇跡みたいな数字。久しぶりのだっこだった。嬉しかった。いつも下の妹より甘えん坊なのにね、一ヶ月もだっこ我慢してたりっくん。
でも、心拍は30まで落ちた、地震でじぃじが車の渋滞にはまっていた。あと少しで、りっくんがいってしまう。じぃじがくるのをまっていた。じぃじがきた瞬間に天国へ行きました。

りっくんは、赤ちゃんの頃から育てにくい子でした。第一子だったので、赤ちゃんはみんなそうなのかと、思ってました。三歳になり、ママのお腹に赤ちゃんが居ることを話すと、いない!と言いました。お腹が大きくなると、ママのお腹まるい!◯の絵をかきまし。ママ大好きだよっっていつも言ってくれました。
妹が生まれて、可愛がりました。最近は、だっこできないくらい大きくなった妹にハグしてました。

いつも、ムードメーカーだった、私の可愛くて、可愛くて仕方ないりっくん。

五歳になったら、字が読めるようになる!五歳になったら、が最近の口癖。
年長さんになったら、お遊戯会で主役がやりたかったりっくん。

五歳目前で、重症感染症で亡くなりました。

五歳になったらなんでもできるーって。

大きくなったら、ママにバッグ買ってあげるねーとか、たくさん約束してたのに。
天国にあっというまにいっちゃった、りっくん。

ママ寂しくて、涙しか出ないよ。
2011/03/17(木) 15:00 | URL | うさぎ #-[ 編集]
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