今日よりも明日が ほんの少しだけ 楽しくなりますように



前回にフラグが立ったように、今回は最愛の伴侶である新島襄の最期となりました。静養先の大磯で病床にある襄の元にいたのは、教え子である徳富猪一郎と小崎弘道でした。教え子からここまでも慕われている様子を見ると、いかに新島襄が偉大な人物であったかを改めて感じさせます。

ちなみに、この小崎弘道ですが、2代目の同志社総長になるという人物。新島襄の思いをかたちに変えつつ、より大きくしていった人物がこのように近くで先生の最期に立ち会うことができたは、幸運だったのかもしれません。

そして、最期の時がやってきます。襄の枕元にいるのは八重。聖書の一節を小崎弘道に読んでもらい、最期の言葉は「グッバイ、また、会いましょう」でした。こうやって最愛の伴侶に言葉を残す事ができるのもまた、幸せなことなんでしょう。残されたひとにとっては、とても辛く悲しいのですが、本人は満足であったに違いありません。

襄の死後、何もする気になれなかった八重ですが、覚馬の叱咤激励で立ち直り、日本赤十字社の篤志看護婦の仕事をするために、捨松のところへ向かいます。この辺り、八重という人物は、尚之助、襄、覚馬という偉大なる人物に助けられながら、その時代に求められる道を切り開いてきたのだと感じます。

残りもあと2回となりました。次回はその支えとなった最後の人物である覚馬もこの世を去ることになりそうです。そのとき、八重はどのように残りの人生を生き抜いていくのか楽しみです。

◆八重の桜紀行◆
神奈川県大磯町
 - 新島襄先生終焉之地碑
 
京都府京都市
 - 新島襄之墓





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病状は刻一刻と悪くなる一方の襄ですが、それとは裏腹に同志社を大学にするための忙しさは激しさを増すばかり。それこそ休む暇もありません。医者から言われたのはあと1回発作が起きたときは、今度こそまずい状況になるというもの。そのことをそのまま伝えることができない八重でしたが、襄にはお見通しと言ったところでしょうか。すぐにばれてしまいます。

そこで襄が言ったのは、死が怖いのではなく自分が残された時間を知らずに本当にすべき事ができずに中途半端のまま終わってしまうこと。そのために自分は準備を色々とやりたいといいます。この辺りは、現代においても同様で死の宣告を受けて自分の残された時間をどのように過ごすか見つめ直すことにも繋がるのではないでしょうか。

自分にも必ずそんな時間が来ると思うのですが、その時に自分はやがてやってくる死に対して恐怖感を持たずに、自分のやるべきことをできるかは分かりません。そんなことを漠然と考えてしまう内容となりました明治の先人たちは、このように崇高な志を持って大学の設立を行い、世論に訴えたりして考えをただそうとしていたことを改めて思い知ることができました。

次回は、襄が本当の最期を迎えるときのようです。今回八重と別れるときにこれで最後と思わせるようなフラグが立っていたように見えたのですが、それは本当のようです。感動の一瞬だと書かれているので、その時を楽しみにしたいと思います。

◆八重の桜紀行◆
東京都港区/新宿区/大田区
 - 山王草堂記念館





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